「ここではないどこかへ」
(この記事は @TolkienWriting さんの企画 #TolkienWritingDay 2018 September への寄稿の第3部です。一応関連していますので、未読の方は第1部、第2部の記事もお読みいただければ幸いです)
昨日の記事で「エルフ=プレイヤー説」について触れましたが、そうなると気になるのは人間、ドワーフ、ホビット、たちの位置付けです(くどい)。前記事のアナロジーでいくならば、彼らも"自我を持ったNPC"というのが妥当ということになりそうですが、微妙に由来がバラバラなのが気になるところです。 ここからは妄想なのですが、エルフらがアマンの"プレイヤー"の意識をエミュレートする仕様で設計されているのに対して、こちらの種族はスクラッチから作られた独自の設計になっているのではないでしょうか。
人間がアマンに渡れないのは、ヴァラールが禁じているからではなく、もともと魂の構造にMacとWindowsほどにも互換性がなかったからなのだとすると、なんとなくつじつまが合う気がします。(エアレンディルのみはアマンに渡っていますが、細かいことを言えば彼はイドリルの血を引いていますので、魂にも両方の性質を受け継いでいた可能性があります。もしかしたらアマンにアップロードされたのは彼の中のエルフ的な部分だけだったのかもしれません...)
たとえ魂の基本構造が全然違ったとしても、会話と交渉が成り立てばそれはFree Peopleとして認めるべし、というのが中つ国の思想のようで、そこはチューリング先生も賛成してくれるものと思います。
サウロンの指輪には人間にもアマンからの"プレイヤー"と同様の力を与えるために、その思考をある程度プレイヤーのそれに"翻訳"するような機能が付加されていたのかもしれません。はめた時に五感がおかしくなるのはその副作用でしょうか。おそらく、変換の途中にバックドア的にパラメータ操作や監視のルーチンも挿入してあって、それを使ってナズグルを支配したのでしょう(もしかしたら最初はデバッグ用途だったのかしら)。
ドワーフについてはアウレ様手製のいささかピーキーな独自仕様だったため、サウロンも翻訳やハッキングを諦めたものと思われます。そういえばlinuxも北欧由来ですね(違)。
...ホビットはさらにマイナーなのでちょっと仕様を推定するための情報が足りません。イルーヴァタールによる実装とすると基本的には人間と変わらないものと思われますが、人間にあったセキュリティーホールのいくつかは塞がれているようですので、若干バージョンが新しいのかもしれません。
昨今のラノベ界では「ゲームの世界に転生したらNPCが普通に生きていた」的な設定はもはやあたりまえになっているようですが、むしろ私たちがそのNPCで、上位世界から"プレイヤー"達がヒロイックな冒険を楽しみにこのアルダにログインしていたのだ、となると、気になるのは運営体制です。
第四紀になってほどなくレゴラス達も去っており、最後の"プレイヤー"がログアウトしてから大分経つと思われるのですが、テストのためかモニターのためか、はたまた第2弾の公開準備中なのか、とりあえずはまだサーバーは稼働しているようです。しかし、それが予算の都合や上司の気まぐれでサクッと閉鎖される日が来ないとも限りません。
ある日突然、聖書に言うほうの"The crack of doom"、最後の審判の雷鳴の代わりに
「このサーバーはあと30分でシャットダウンします。ユーザーの方は予めログアウトしておいて下さい」
を意味するクウェンヤのメッセージがどこからともなく世界中に響き渡るのかも...と思うと気になって夜も眠れません*1。
ところで、生物学実験で大腸菌やら酵母菌やらを日々培養したり滅菌消毒したりしている研究者の方々は、一応"五分の魂"を気にしているようで、「人類生存に大きく貢献し 犠牲となれる 無数億の菌の霊に」捧ぐ、などという石碑を京都の某所に建立していたりします。
一方私自身は仕事柄人工知能っぽいプログラムを作ったり、進化的アルゴリズムと称して多数のエージェントを競争させては何百世代も淘汰する、といったシミュレーションをちょくちょくやっているのですが、流石に「1kBのプログラムにも4bitの魂」とは考えずに無造作にメモリを消去し、プログラムをkillしています。残念ながら、私達は、AIやプログラムの魂について悲しいほどに何一つわかっていないと言わざるを得ません。
いずれ人工知能が進歩すれば人と遜色ない自我をもったAIが実装されるようになり、彼らの魂の尊厳や基本的人権が真面目に議論される時代が遠からず来るものと期待されます。それがいつごろになるのか、そしてそれがどのような着地点を迎えるのか、現状ではなんとも予想しかねますが、その過程で展開される哲学的議論のなかで、「もしイルーヴァタールがアルダを創造し、その中に人間を生み出したならば、その魂をどのように扱っただろうか?」という問いへの鍵が、もしかしたら見つかるかもしれません。
あるいはイルーヴァタールも、その答えを知りたくてアルダを創造したのかもしれません。
古のインド哲学の賛歌にも、こう謡われています。
この創造はいずこより起こりしや。そは[誰によりて]
実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、
― 最高天にありてこの[世界を]監視する者のみ
実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。
『リグ・ヴェーダ』より「宇宙開闢の歌」(辻直四郎訳)
補。 本稿はあくまでSFネタとしてのはっちゃけた妄想であり教授のクリスチャンとしての信仰を否定したり揶揄したりする意図は全くありません。どうかお許し下さい。