重荷

この記事は@yuura_ardaさんのツイートとリプを参考にしました。

指輪の一行が裂け谷を出発する前のシーンで、彼らの旅装が紹介されます。その中で、「ギムリだけが公然と短い鎖かたびらを身につけていました。ドワーフというのは身軽に旅をするものです」という一節があります。ですが"身軽"という割にはどうみても彼が一番重装備です(笑)。


確かに登山などの際、あとで必要になりそうなものをいろいろ持っていこうとするとどうしてもかさばるため「いっそ身につけてしまえば"荷物"は減る」という主張で家を出るときからフル装備のタイプの人がいます。そんな気分から"身軽"と言っているのかと最初は思ったのですが、原文を読んだらもっとシンプルでした。
英語では先ほどの文の後半は"for dwarves make light of burdends."とあります。"make light of"は辞書によれば"軽んずる"、"軽くみる"、の意味だそうなので、訳としては「ドワーフというのは荷物の重さをあまり苦にしないものなのです」といった感じでしょうか。これならまあイメージどおりの気がしてきます。『ホビットの冒険』でも、五軍の戦いの前、ダインの一族が山小屋の"歩荷"かヒマラヤのシェルパのように背負える限りの物資を背負ってはなれ山に増援にやってくる描写がありましたね。

 

一般に中世の鎖かたびら、chain mailとかhauberkとか呼ばれるものは、短いものでも7,8kg、大きいものだと10kg近くの重さはあったようです。そりゃ鉄の輪を編んでコートにしているのだから重いのは避けられません。2,30kgの重さがあったといわれる"板金鎧"や日本の甲冑よりはましだとは思いますが、それでも着けたまま何日も歩いて旅をするのはドワーフでもない只人にはしんどそうです。それを日々着けていたというデネソール侯の意志力はいかほどのものか。ボロミアの死による挫折と絶望さえなければ、彼もサウロンの悪意にそう易々とは屈しなかったのかもしれません。
一方、フロドが譲り受けた鎖かたびらは魔法のように軽かったそうですが、何せ"ミスリル"製なので重さの予想がちょっとつきません。


例えば自転車だとアルミやチタンフレームの製品は鉄の合金フレームの6,7割程度、カーボンファイバー製だと半分ぐらいの総重量になります。仮に一般の鎖かたびらの約半分とすると4,5kgとなりますが、小柄なホビットにはまだ重すぎるように思えます。フロドが着たまま旅をしていて負担にならないと言われていたことを考えると、せいぜい2,3kgぐらいだったのでしょうか。これならちょっとごつい皮のジャケットと思えば着て歩けなくもないでしょう。現代の"防刃ベスト"と呼ばれるものが2kgぐらいなので、イメージとしてはこちらに近いかもしれません。将来的にグラファイトカーボンナノチューブのハイブリット素材でも合成できるようになったら、軽くて強靭で金属のような光沢のある、ミスリルに近い防弾チョッキが実現するでしょうか。

 

実際問題として指輪の一行の荷物はどれぐらいだったのでしょう。山歩きで一週間分の食料とテントなどを背負っていこうとすると最低でも一人20kgぐらいは用意する必要があると思います。最近の素材に比べて昔の装備はもっとかさばるので30kgぐらいを覚悟でしょうか。自衛隊の行軍訓練では60kgぐらい、歩荷さんになると50kg~100kg(!!)の荷物を背負って歩くのだそうです。ここまでくると文字通りドワーフ並みの耐久力が求められそうです。
指輪の一行は数週間の旅程を想定していたはずなので、最初は小馬のビルに大部分を運んでもらったにしても各自それなりの大荷物を背負っていたと思います。特にサム。アルプス縦走や従軍経験のあるトールキン教授はそのあたりは実体験をもって具体的にイメージしていたに違いありません。
もっともあまり荷物ばかり大きいと絵にならないので、映画の描写はきっとかなり手加減したのでしょう。

 

現代人の日常からすると荷物を全部背負って何百キロも歩く、というのは普段なかなか経験できませんが、実は学生の頃、友人と二人で渋谷から長野県の上田市まで約180kmを一週間かけて野宿しながら歩いたことがあります。巻き込んだ友人には「中山道を旅してみたい」と表向き話していましたが、最大の動機が『旅の仲間の気分を味わってみたかった』ことであるのは内緒です(笑)。エリアドールと違って食料や水はどこでも手に入るため、寝袋やらなにやら合わせても10kg程度を背負って歩くだけですんだのがやはり大きな違いでしょうか。東海道中膝栗毛なんかを読むと泊まるところも食事も行き先にあるのをあてにできるだけあってかなりの軽装ですので、"宿場町"というのが非常に偉大なインフラだったことは間違いありません。
あと、歩いている間は気力で持たせるのでまだいいのですが、一行程終わるとしばらく動き回る気になりません(笑)。フロドたちも裂け谷やロリエンで一ヶ月かそこらごろごろだらだらしていますが、歩いた期間と同じかそれ以上の日数はそんな感じで休まないと疲労が回復しないというのはわかる気がします。

 

重い荷物を背負って歩いているとだんだん考えるのも億劫になってきて機械的に足を動かすゾンビのようになってきます。周囲を見回す余裕なんて最初のうちだけで、景色なんてそう変わらないのですぐに飽きてきます。1日が終わる頃にはなんでこんなことをしているんだろうという気分になるのは避けられません(笑)。ですが、風景、地形の変化と自分が動いた実感が一対一に対応するので、地理に対する認識がだいぶ変わります。今まで紙の上にしかなかった概念が実体化して、手で触れ、足で踏め、その中で自分が呼吸する"空間"に変わったような違いがあります(残念ながら方向音痴なのは相変わらずですが)。
仕事柄、バーチャルな情報、空疎な数値データの山と曖昧模糊とした統計インデックスばかり扱うことが日常的なのですが、「質量というものは"重荷"であると同時に世界を"現実化(マテリアライズ)"させるためには不可欠な要素なのだ」と、その時以来忘れないようにしています。