賢者の贈り物

この記事はトールキンワンドロ&ワンライ2020@1hTolkienさんの企画 #1hTolkien の第198回(4/18) お題「好きな台詞」に参加したものです。


「そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ」

 

いかにもガンダルフっぽいものいいですが、ありがたいのかありがたくないのか若干微妙な言い回しです。
ですが、「わしは嘘はつかぬ」と言い切っているガンダルフにとっては、本当に「正しい」ことを口にすると言うというのはなかなか制約が厳しいものであると言えます。

 

論理学では「命題Pは正しいか正しくないかのどちらかである」といった命題を恒真命題、恒真式などと呼びます。命題Pの中身がなんであれ、「恒に必ず正しい(=真である)」ことが証明できるからです。これなら確かに嘘を言う心配はありません。
結局何も言っていないのと同じじゃないのか? というご指摘はもっともで、トートロジー、同義反復なんて言われ方もします。

 

「エルフに意見を求めるな、良しと悪しとを共に言う」
とフロドは茶化していますが、論理的に正しいことを発言しようと思ったらそのぐらい慎重にならざるを得ないと言えます。論理というものは非常にデリケートなもので、ちょっと言葉をいじらだけで意味がおかしくなってしまったり、正しく伝わらなかったり、ねじ曲げて解釈されたりするものです。

 

「エルフは軽々しく忠告を与えることはめったにしない。
忠告は、賢者から賢者に与えても、危険な贈り物だから」
そう言ったギルドールも、上のエルフとして長い年月の中、言葉がねじ曲げられたことによる悲劇をたくさんみてきたのではないでしょうか。

 

「もしPだったならばQになります」という発言の「Qになります」だけが拡散され、元の発言と異なる文脈で使われてどんどんと意味が歪められてゆくケースは昨今では数多みられます。慎重にしたはずの発言を切り取られてしまうぐらいなら、発言しない方がましという事態になりかねません。ギルドールの言うとおり、軽々しくは送れないし、受け手もまた賢者であることが求められるものであると言えます。


「この国の人間たちは嘘をつかない、それ故たやすく騙されもしないのです」とエオメルは言いました。大昔に初めて読んだ時はローハンの人々は心が純朴だから嘘を見抜けるのか、と思ってしまいましたが、今考えるともうちょっと奥が深いかもしれません。
そもそも「嘘をつかない」ためには、単に正直であるというだけでなく、"こう言ったら嘘になってしまう"というバリエーションを検証し、丁寧にそれを避けるという論理的な思考が必要になります。そのような思考ができるということは、逆に論理の穴もチェックできるということに他なりません。

 

例えば「歳を取るとAが減る」と「Aが減るとBが弱くなる」が科学的な事実として正しかったとしても、「だからAが増えればBが弱くならない」が正しいとは限りません。ましてや「だからAを食べればBが弱くならない」は論理でも科学でもなく、もはや類感呪術の域です(笑)


ちなみに宣伝する方も論理的な「嘘」がばれるとあとで罰せられるので、「だからAを食べてBを元気にしよう!」とか書きます。論理ではないので嘘だと断定することが残念ながらできませんが、真実味はまったくありません。それでも不注意に読んでのせられる人は一定数いると思われます。ですが、ローハンの人たちならこんな宣伝に騙されることはないのかもしれません。

 


偉そうなことを書いていますが私自身は結構嘘つきです。つい今週も、締め切りが間近に迫った原稿について「あれどうなってます?」と問い合わせのメールをもらい「このコロナ騒ぎでまともに仕事ができなかったのでちょっと遅れそうです」と返事をしてしまいました。同様の案件も多かったらしく、わかりましたと了承いただきましたが、実際には"忘れていた"わけですらなく、最近いろいろ集中できなくて手につかなかっただけです、ごめんなさい、orz。

 

かなうものならファラミアのように誇りを持って、「大言壮語することなく最後まで成し遂げるか、あるいはその途中で死ぬか」と言えるような生き方ができる人間になりたいと願わずにはいられません。

#しかしこうしてみるとつくづく私の倫理観はトールキンに負っているんだなあと。