賢者の言葉
#この記事はトールキンワンドロ&ワンライ2020@1hTolkienさんの企画 #1hTolkien の第197回(4/11) お題「好きな台詞」に参加したものです。
「死んだっていいとな! たぶんそうかもしれぬ。生きている者の多数は、死んだっていいやつじゃ。そして死ぬる者の中には生きていてほしい者がおる。あんたは死者に命を与えられるか? もしできないのなら、そうせっかちに死の判定を下すものではない。すぐれた賢者ですら、末の末までは見通せぬものじゃからなあ。」
ガンダルフの台詞は全て誦じて言えそうなぐらいにどれも好きなのですが、あえて1番を挙げるとすれば「情けないと?」からここまでの一連のフロドとの会話でしょうか。ガンダルフが生死や善悪を説教するのは意外と少ないように思いますが、ここにおいても彼はあくまでも「待て」と言っています。お説教をする時にも、彼の言葉はいつも努めて中立を保とうとしています。賢者らしく"中庸"といってもいいかも知れません。「そうかも知れぬし、そうでないかも知れぬ」が彼の口癖です。がみがみ怒鳴りはするけれども過ちにも寛容で、暖かな包容力にも満ちています。
指輪物語全体を通して、トールキンはあまり善悪を説いていません。同僚であったC.S.ルイスのナルニア物語に聖書のモチーフが色濃く現れているのに対して、トールキンの主なモチーフはサガのような伝説や英雄譚であり、仇同士の因縁の戦いもどちらかというと"物欲"が発端だったり、と、どちらかというと伝記や戦記のような書き手の立場から淡々と語られている印象があります。確かにモルゴスやサウロンは絶対的な悪としてサタンやルシファーに比する位置づけと言えますし、ガンダルフも「"復活"した救世主」のモチーフだと言われると当てはまらなくもないのですが、あまり押し付けがましくありません。どちらかというとものごとを俯瞰的に捉え、サポートに徹しようとしているのが彼の立場です。
それともう一つ気になる点が。指輪物語の特徴としてあげられるものに女性の登場人物の少なさがあります。元となるモチーフが主に英雄譚である以上、ある程度仕方ないのかも知れませんが、アルウェンやエオウィンのようなヒロインとガラドリエルの奥方様を除くと、他はほとんどおっさんとじいさんばかりです。それだけでなく、"母親"として現れるキャラクターの数となるとさらに少なくなります。私が思いつく限りでははっきりと母親としての役割で現れるのは最後にエラノールをサムの膝にのせるロージーぐらいですが、この時にもセリフはありません。他のキャラクターの母親もほとんど亡くなっているか行方不明か。ピピンは未成年でお母さんも存命のはずですが出番はありません。年齢的にはイオレスは該当する可能性はありますが、前線の病院に残って奮闘するあたり、彼女はいわゆるオールドミスではないかと踏んでいます(笑)。トールキンの生い立ちからすると、父親は早くに亡くしていますが母親との関係はそれほど険悪だったわけでも冷たかったわけでもないようなので投影云々をここでは議論しませんが、ちょっと偏りがあるように思います。
そう思いながら読み返していて気づいたのは、ガンダルフの持つ包容力、導く力、赦しを与えるその寛容さです。あのゴラムに対しても癒されるべき望みを捨てないのがガンダルフです。そう思うとかれの役割はメシアそのものではなくて、アラゴルンやフロドを導き育てる聖母に近いのではないでしょうか。そして全キャラクター中で"おかん"属性がもっとも高いのは実はガンダルフなのではないのでしょうか(笑)
探していくと、フロドをつきっきりで看病したり、ピピンを叱り飛ばすけどしっかりフォローしたり、いろいろ心当たりがあります。想像してみてください、かれが白い割烹着を着てお玉を持って味噌汁を作っていても全く違和感がないのではないでしょうか。
慈愛と憐憫を司る賢者にして聖母を兼ねるガンダルフに敬愛を表し、最後に有名なあの歌を捧げましょう。
僕が悩み事を抱えていると
ガンダルフ母さんがやってきて
智恵ある言葉を教えてくれたんだ
「かくあれかし」と