「ここではないどこかへ」

(この記事は @TolkienWriting さんの企画 #TolkienWritingDay 2018 September への寄稿の第3部です。一応関連していますので、未読の方は第1部、第2部の記事もお読みいただければ幸いです)

 

 昨日の記事で「エルフ=プレイヤー説」について触れましたが、そうなると気になるのは人間、ドワーフホビット、たちの位置付けです(くどい)。前記事のアナロジーでいくならば、彼らも"自我を持ったNPC"というのが妥当ということになりそうですが、微妙に由来がバラバラなのが気になるところです。 ここからは妄想なのですが、エルフらがアマンの"プレイヤー"の意識をエミュレートする仕様で設計されているのに対して、こちらの種族はスクラッチから作られた独自の設計になっているのではないでしょうか。

人間がアマンに渡れないのは、ヴァラールが禁じているからではなく、もともと魂の構造にMacWindowsほどにも互換性がなかったからなのだとすると、なんとなくつじつまが合う気がします。(エアレンディルのみはアマンに渡っていますが、細かいことを言えば彼はイドリルの血を引いていますので、魂にも両方の性質を受け継いでいた可能性があります。もしかしたらアマンにアップロードされたのは彼の中のエルフ的な部分だけだったのかもしれません...)

たとえ魂の基本構造が全然違ったとしても、会話と交渉が成り立てばそれはFree Peopleとして認めるべし、というのが中つ国の思想のようで、そこはチューリング先生も賛成してくれるものと思います。

 

サウロンの指輪には人間にもアマンからの"プレイヤー"と同様の力を与えるために、その思考をある程度プレイヤーのそれに"翻訳"するような機能が付加されていたのかもしれません。はめた時に五感がおかしくなるのはその副作用でしょうか。おそらく、変換の途中にバックドア的にパラメータ操作や監視のルーチンも挿入してあって、それを使ってナズグルを支配したのでしょう(もしかしたら最初はデバッグ用途だったのかしら)。

ドワーフについてはアウレ様手製のいささかピーキーな独自仕様だったため、サウロンも翻訳やハッキングを諦めたものと思われます。そういえばlinuxも北欧由来ですね(違)。

...ホビットはさらにマイナーなのでちょっと仕様を推定するための情報が足りません。イルーヴァタールによる実装とすると基本的には人間と変わらないものと思われますが、人間にあったセキュリティーホールのいくつかは塞がれているようですので、若干バージョンが新しいのかもしれません。

 

昨今のラノベ界では「ゲームの世界に転生したらNPCが普通に生きていた」的な設定はもはやあたりまえになっているようですが、むしろ私たちがそのNPCで、上位世界から"プレイヤー"達がヒロイックな冒険を楽しみにこのアルダにログインしていたのだ、となると、気になるのは運営体制です。

第四紀になってほどなくレゴラス達も去っており、最後の"プレイヤー"がログアウトしてから大分経つと思われるのですが、テストのためかモニターのためか、はたまた第2弾の公開準備中なのか、とりあえずはまだサーバーは稼働しているようです。しかし、それが予算の都合や上司の気まぐれでサクッと閉鎖される日が来ないとも限りません。

ある日突然、聖書に言うほうの"The crack of doom"、最後の審判の雷鳴の代わりに

「このサーバーはあと30分でシャットダウンします。ユーザーの方は予めログアウトしておいて下さい」

を意味するクウェンヤのメッセージがどこからともなく世界中に響き渡るのかも...と思うと気になって夜も眠れません*1

 

ところで、生物学実験で大腸菌やら酵母菌やらを日々培養したり滅菌消毒したりしている研究者の方々は、一応"五分の魂"を気にしているようで、「人類生存に大きく貢献し 犠牲となれる 無数億の菌の霊に」捧ぐ、などという石碑を京都の某所に建立していたりします。

一方私自身は仕事柄人工知能っぽいプログラムを作ったり、進化的アルゴリズムと称して多数のエージェントを競争させては何百世代も淘汰する、といったシミュレーションをちょくちょくやっているのですが、流石に「1kBのプログラムにも4bitの魂」とは考えずに無造作にメモリを消去し、プログラムをkillしています。残念ながら、私達は、AIやプログラムの魂について悲しいほどに何一つわかっていないと言わざるを得ません。

 

いずれ人工知能が進歩すれば人と遜色ない自我をもったAIが実装されるようになり、彼らの魂の尊厳や基本的人権が真面目に議論される時代が遠からず来るものと期待されます。それがいつごろになるのか、そしてそれがどのような着地点を迎えるのか、現状ではなんとも予想しかねますが、その過程で展開される哲学的議論のなかで、「もしイルーヴァタールがアルダを創造し、その中に人間を生み出したならば、その魂をどのように扱っただろうか?」という問いへの鍵が、もしかしたら見つかるかもしれません。

あるいはイルーヴァタールも、その答えを知りたくてアルダを創造したのかもしれません。 

古のインド哲学の賛歌にも、こう謡われています。

この創造はいずこより起こりしや。そは[誰によりて]

実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、

― 最高天にありてこの[世界を]監視する者のみ

実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。

リグ・ヴェーダ』より「宇宙開闢の歌」(辻直四郎訳)

 

 

補。 本稿はあくまでSFネタとしてのはっちゃけた妄想であり教授のクリスチャンとしての信仰を否定したり揶揄したりする意図は全くありません。どうかお許し下さい。

 

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*1:*計算論についてのある数学的解釈にもとづいて、「たとえシミュレーションしているサーバーが計算を止めても"シミュレーションの中の時間"は変わらず継続しているはずだ」という考察を述べた議論があります。詳しくはグレッグ・イーガンの『順列都市』をどうぞ。

「外と中」

(この記事は @TolkienWriting さんの企画 #TolkienWritingDay 2018 September への寄稿の第2部です。未読の方は第1部の記事もお読みいただければ幸いです)

 

 昨日の記事で「ガンダルフアバター説」について触れましたが、そうなると気になるのはエルフたちの位置付けです。エルフたち、中でも指輪所持者たるエルロンド卿とガラドリエル様はガンダルフとその力や能力においてあまり変わらないように描かれていますし、アマンに行ったり戻ってきたりしている上のエルフたちも多かれ少なかれ似たような立場にありそうです。そうなると彼らエルフ達も皆、外の世界からログインしているアバターということになってしまうのでしょうか?

 

私の仮説(?)は、「彼らは中つ国で生まれた魂だが、その構造はもともとマイアたちと共通のものとして作られていたため、彼らの世界にも逆向きに転送可能になっている」というものです。SFでよくある「"ゲームの世界で生まれた自我を持ったNPC"をサルベージして、オープンネットにつなげて自由にしてしまう」状態に近いでしょうか。
教授の作品ではあまり不自然な超常現象が描かれない中で、"アマンに渡ったエルフ達をいくらでも収容可能"というマンドスの館にはなんともいえない不思議さを感じていたのですが、アマンが中つ国という世界をシミュレーションしている高次元の世界にあると思えば特に問題はないような気がしてきます。もともとアルダ全体を実装するだけの規模のサービスを提供していると考えると、数百世代程度のエルフ達ならせいぜいサーバーを一つ二つ増設する程度の負担でサルベージできてしまうのではないでしょうか。

 

なんでわざわざそんな仕様にしていたのかを考えると、やはり「エルフ達の何割かは中つ国で生まれたNPCではなく、アマンからログインしていたプレイヤーだった」という設定が生まれます。イルーヴァタールがプロデューサー兼メインプログラマー、ヴァラール達は開発&運営スタッフ、マイアール達はサポート要員でしょうか...なんか一気に有り難みがなくなってしまいますが(爆)。

エルフ達のどこまでが外からのプレイヤーなのかを推定するのは難しいのですが、基本的にはヘルカラクセを渡ってきた上のエルフ達、とくにフェアノールの一族は"プレイヤー"だった可能性が高いと思います。"シルマリル奪還"というクエストを与えられてしのぎを削る何千人かのMMORPGのプレイヤー達、と思えば、彼らがいろいろやらかしていたのも納得がいきます(笑)。昔の"プレイバイメール"のロールプレイングのように、シナリオが固定ではなくプレイヤーの行動によってストーリーが形成されていくシステム(最近ではIngressなどもそうかしら)だったと考えられますが、これだけ我の強いプレイヤーが集まった世界でストーリーを管理する運営の苦労がしのばれます。

 

第一紀の開発期間を経て第二紀で公開され、一大ブームを巻き起こしたアルダオンラインですが、チートプレイヤーに対して運営の対応が後手に回ったことなどから、第三紀以降、次第に人気が後退していった...のかもしれません。不老不死であり病などとも縁のないエルフ達も、やがて中つ国に「倦み疲れて」アマンに去って行った、と言われていますが、プレイヤーが飽きるにつれ次第にログインされなくなって、サーバーがいつしか過疎化していく...というのはMMORPGではしばしば目にする光景です(笑)。

さらに言えば、サウロンやサルマンはサービスが過疎化しているのをいいことにスタッフ権限で作成したチートキャラを使って無双プレイをしようとしていたことになります。そりゃ運営に見つかってBANされるのも当然でしょう。

 

しかしそうなると、サービス当初から最強チームの一角として名を馳せ、いくつかの大きなイベントで活躍、さらにおそらくNPCである王様キャラと懇ろになった挙句"結婚"し、数多の実績から運営にスカウトされたのかユニークアイテムを装備してサービスが過疎化した中でも最後まで残って世界を見守り続けたガラドリエルの奥方は、どうみても*相当の*廃プレイヤーということになってしまうと思われますが...たまにいますよね? そういう人。

 

Deep Learningを始めとした人工知能が近年著しく発展しているとはいえ、現在の技術ではまだまだ自立したAIを持つNPCを実装するまでには至っていませ んが(先日、某サービスを使って"AIガンダルフ"を作れないか試してみたのですが...まだまだ意味のある発言を生成するのは難しいですorz)。そこに『指輪物語』という目標がある限り、生きた世界を創造するという夢も、いつかは実現されるのではないかと信じています。

願わくば、早いうちに。

 

(9/24追記1)

エルフ達が(少なくとも何割かは)プレイヤーだとすれば、美形ぞろいなのはキャラエディタが充実しているおかげでしょうか。

(9/24追記2)

そう言えばエルロンドら指輪所持者三人がゴンドールからの帰りに「動きもせず、口で話しもせず」に何日も話し合いをしていましたが、もしかしたらアバターを放っておいてチャットしていたのかもしれません。

 

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「中と外」

(この記事は @TolkienWriting さんの企画 #TolkienWritingDay 2018 September に参加しています。企画へのリンクは記事の最後からどうぞ)

 

「エルロンドの館じゃ。今は朝の10時じゃ。」と答える声がありました。

「ここはいつも暗い。だが外では月が西へまわり、真夜中を過ぎた頃じゃ。」

 

ガンダルフのさまざまな特技の一つに、いつでもどこでも正確な時間を把握しているというものがあります(中つ国の技術レベルだとドワーフの細工物でようやくゼンマイが使えるかどうかということを考えると、ビルボの暖炉にあった"時計"はオーパーツではないかと思うのですが、それはまた別のところで)。

また同様に、何気なく話しているようで冷静に考えると驚きを禁じ得ない特技がもう一つ。例えば、

 

「鴉が飛ぶように直線に行けば15マイルばかり、狼どもが走るがごとく行けば多分20マイルばかりあろう。」

「西の入り口から東の門まで直線距離にしても40マイル以下ということはないし、道は相当曲折しておるかもしれぬからな。」

「バラド=ドゥアからオルサンクまでは直線距離にして200リーグかそれ以上ある。」

 

などなど、一行のいる場所をリアルタイムでGPS並みに正確に把握できて、かつ中つ国のほぼ全土をカバーする測量済みの地図がいつでも頭の中で参照できるらしい、というものがあります。スマホ以前の時代に山歩きの経験がある方は、これがどんなに難しいことか、そしてどんなに有難いことか想像が付くのではないでしょうか。

馳夫さんですらガンダルフが道を見失わないことにかけては絶大な信頼を置いています。馳夫さんはおそらく自分の足でくまなく歩くことで土地勘を体で覚えているのだと思いますが、それに対し、ガンダルフはいつでも地理を俯瞰できるのだとすればそれも宜なるかなです。

 

このような"マップ機能"は、Lord of the Rings Onlineのようなロールプレイングゲームをプレイするときには標準で実装されているのが普通であり、私もその恩恵を噛み締めていたりするのですが(「昔はゲームしながら方眼紙に地図を書いていた」とか言い出すと世代がバレる)、そこから想像されたひとつの仮説として、「中つ国においてガンダルフのようなマイアなどは、ある種の"アバター"なのではないか」と思うことがあります。

 

最初にシルマリルを読んだころの漠然としたイメージでは、中つ国におけるマイアールの受肉は、何かの精霊のようなものが人の肉体の中に入り込んで一体化したような状態、と思っていました、が、もしかしたら彼らの本体はあくまでもどこか高次元世界にあって、「ガンダルフというキャラクターを外から操作しているという感覚」に近いのかもしれません...

 

そのように想定すると先ほどあげたようなマップ機能や時計機能を必要とするのは自然なことですし、あるいは「過去に別の場所でおきた出来事を再生する」といったオプションも実装次第では可能と思われます。さらに、運営が特例を許すならキャラロストからの復活もあり得ることになります。なんだかいずれは中つ国のすべてがオンラインロールプレイングゲームで再現可能な気がしてきます(笑)。

 

トールキン教授のイメージが神話など人の想像力の本質に繋がっているがために後の世代が創造するものを先取りすることになったのか、それとも教授のイメージに触れたことのある世代が、意識のどこかに(こんなことが実現できたらいいな)という刷り込みを受けているために知らず知らずその方向に向かっているのか、文化史的には興味深いところです。

後者があながち否定しきれないのが怖いところだと思うのですがいかがでしょうか。

 

もし指輪物語ナルニア物語によって架空世界というミームがあの時生まれていなかったら、今日のVR、AR研究といったものまで含めた世界全体が、根元のところから別の方向に向かっていたかもしれません。例えば「歴史的な事実を再現する」ことを最上の目的としていて、それ以外は児戯と見下す風潮になっていたかもしれませんし、あるいは何か特定の宗教的世界を再創造することばかりがもてはやされるようになった、なんてこともあり得ます。

 

個人的には現実一辺倒でもなく荒唐無稽でもない、今のような「ファンタジー世界」というミームが普及してくれていることにほっとしています。まあ若干、剣と魔法ばかりでなくてもいいんじゃないかとは思わないではないですが。そしていずれ死ぬ前には、中つ国に"ログイン"して体験できるようになってほしいと期待しています。

...なんかハマり過ぎて帰ってこれなくなりそうなのが問題ですが。

 

 

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もしも中つ国が

この記事は トールキンワンドロ&ワンライ2018(@1hTolkien)さんの企画、

#1hTolkien 第100回に参加したものです。

お題 「もしも○○が○○だったら」より、

「もしも中つ国が"中国大陸"だったら」

 

もしもトールキンが古英語の研究者ではなく、東洋文化史の碩学だったら、アジア版指輪物語の世界はいったいどのように編まれたでしょうか...?

 

例えばこんな物語。 

舞台のイメージは春秋戦国時代に似た遥か古代、ちょっと周っぽい古代王朝の血を引く流浪の皇子が、田舎の遺跡で偶然発見された古代王朝の印璽を守り、迫り来る追っ手達を逃れながら都まで旅を続け、"中つ国"を魔術と暴力で支配しようとしていた黒の王を打ち倒し、ついに正統の王朝を復古させ、皇妃には桃源郷に住まいしていた仙女の一人を迎える、という冒険活劇...ありかもしれません(笑)

印璽には人を支配する命令を出すことのできる魔法の力があるのですが、皇子達の陣営は最後に印璽を壊すことで黒の王の持っていた宣旨の持つ支配の力を無力化し、従わされていた人々を解放し、これからは人の力で世を治めていくことを誓います。

 

彼を助けるのは一人の老賢者に、桃源郷や崑崙山に隠れ住んでいた不老長寿の仙人仙女達、北方の鍛治族や金髪碧眼の西方の民の旅人たちや、騎馬民族の盟友。印璽を見つけたのは中原に住むという陽気な小人族...あんまりキャラクターを増やすとどちらかというと「封神演技」か「西遊記」っぽくなってしまうそうですが(笑)

オークは猿人というか原人の雰囲気で。サルマンはちょっと怪しげな道士風になるでしょうか。龍を筆頭に獅子や麒麟などなど、山海経っぽい化け物達にもいろいろ登場してもらいましょう。

アマンは海の向こうではなくて西方の人跡未踏の山々の頂にあるとされる須弥山のような浄土になるかもしれません。天竺とはまた別物ですが、まあ似たような感じで。天上の神々は例によって本編では姿は見せません。

 

背景には中国だけではなくインド、チベット中央アジアペルシャ地方などの神話、伝説を広くネタに取り込み、それらの王道パターンをしっかり踏まえる必要があります。お土地柄、若干仏教説話っぽいエピソードがいろいろ入ってしまうのは大目にみてもらいましょう。あえて日本は設定に入れてません...物語においては空白にしておいた方がいい場所というものもあるかと思います。

 

そして、文字です。言語ももちろん大事ですが、東洋文化圏の真髄は文字です。 白川静先生ばりに、甲骨文字や金文の構成を踏まえ、篆書楷書隷書はもちろん、ヒエログリフトンパ文字なども参考に、独自の文字体系とその進化の歴史、地方ごとのバリエーションなどまで含めた仮想の資料と歴史を作り上げ、最終的には架空の書家の名筆を生み出せるぐらいに練り上げててこそ、「東洋のトールキン御大」ならではの世界と言えるのではないでしょうか(爆)。

 

アイヌリンダレの代わりに、太極の混沌の中で一つの意志が「文字」を書きつけるところから世界が始まるかもしれません。イルーヴァタールは歌の代わりに文字を連ね、アルダの歴史を紡ぎ出します。偽書を書き出して世界を都合よく捻じ曲げようとするものも生まれるかもしれません。正史偽史が混沌とするかもしれませんが、最後にはより力があるものが書いた物語が現実になります。いえ、現実になる物語を書くことのできたものこそが、力があるものと定義されるのかもしれません。

魔法使い達も呪文を唱える代わりに、さまざまな文字を書いて魔法を使うでしょう。文字により世界を上書きし、普通なら起こらない現象を引き起こすのが、彼らの力です。

 

いささか風呂敷を広げすぎて1hではまとまりがつかなくなってしまいましたが、シェアードワールド的なプロジェクトとして各界の専門家が集まって、そうですね、10年ぐらいかければ、それなりのものができるかもしれません。

...みなさん、いかがでしょうか?

新年の14日

この記事は @TolkienWriting さん主催のイベント

#TolkienWritingDay に参加して投稿したものです。過去のイベントはこちら

http://bagend.me/writing-day/

 

今日(4/8)はゴンドールの新暦では新年の14日、フロドとサムがイシリエンで目を覚ましてガンダルフたち旅の仲間と再会し、エレサール王に祝福された日です。

...サウロンが滅びた日を新年の始まりと定めたわけですが、二人ともサンマス・ナウアから救出された後、まる二週間昏睡していたことになります。点滴もなしに大丈夫なのかと言う気がしないでもないですが、まあありえないほど長いわけでもないでしょうか。教授が従軍していた頃には前線の病院ではそんな話はいくらでもあったのかもしれません。

 

我々に従軍経験があるわけではないので対比できるものでもないのですが、フロドたちのモルドール行やモルドールのオークたちの振る舞いには教授の若い頃の参戦の経験がおそらくいろいろ反映されているのでしょう。ホビットの冒険から旅の仲間の頃はどこか漠然としていたオークの描像も、二つの塔から王の帰還と進むにつれて、罵り合ったり裏切ったりと妙になまなましくなって、兵卒っぽくなってきます。

「お前の番号を届け出るぞ!」との台詞を初めて読んだ時にはなんとも言えない衝撃を受けたのを今でも覚えています。あえて分析するなら、それまで鬼畜として容赦無く駆逐すべき敵だと思っていたオークたちが、彼らなりの社会組織を持ち、人間とどこかしら似た、彼ら自身の生活を送っている生き物なのだと初めて認識した気持ちでしょうか。

 

また、モルドール行においてフロドたちが悩まされる寒さや空腹や渇き、蓄積する疲労、荷物の重さ、そういったひとつひとつの描写のリアリティは他のさまざまな小説と比べても群を抜いていて、読んでいるだけで息苦しくなってくるほどです。私も昔は山歩きなどもしていたので部分的にはイメージできますが、ここまで極限的な行程は経験したことがありませんし、しようと思ってできるものでもありません(笑)

 

指輪物語の魅力として、教授の言語学的な造詣やシルマリルに遡る重層的な歴史の記述、また地図や年表などの細かな設定が言及されることは多いのですが、 もう一つ、別の軸として、ちまたのどんなファンタジーよりも濃密なリアリティをその背後に持ちながら、それを突き放して透明に描くことによって幻想の中に融合させてしまったというその距離感を挙げてもいいかもしれません。昨今のファンタジーにありがちなような、仮想世界の設定を一生懸命盛り込んだり、逆に身近なものをそのまま持ち込んで臨場感を出してみたり、といった程度の描写では、はなから太刀打ちできない奥行きの違いが、そこにはあるような気がします。

そういった暗めのリアリティ、過酷な経験や悲しい出来事が背景にありそうな描写は指輪物語の中にはそこかしこにあるように思われます。しかし、その痛みや悲しみをことさらに強調したりすることはなく、どちらかというと淡々と、世界の背景の中に埋め込まれるようにして描かれています。

 

その静けさはダンセイニやイェイツらに代表されるアイルランド文学にしばしば見られる、どこか寂しげな、諦念に似た世界観とも繋がっているようにも思えます。そこには美しいものが永遠に損なわれることのない彼岸への憧憬を抱きながら、それでもなお、苦しみや悲しみと無縁ではいられないこの此岸を愛する心が歌われているのだと思います。ちょうど、鷗に海へと誘われたレゴラスのように、エルベレスを讃える上のエルフたちのように。その響きこそが、指輪物語を単なる空想の域を超えた文学として、世界中の多くの読者を魅了させるものにしているのではないでしょうか。

悪霊よけ

ラダガストがわざわざガンダルフを探して伝えに来た「九人組が大河を渡った」という知らせ、まあ確かに厄介そうな話ではありますが、教授としては私たちの印象よりも深い象徴を意図しているのではなかろうか、という話を。

 

体系だって調べたわけではないのですが、スコットランドアイルランドなどの民話を読んでいると悪霊、悪い妖精、魔女などが「流水を渡れない」という描写がときどき出て来ます。最近では吸血鬼の弱点として一部で有名かもしれませんが、そのルーツ、『ドラキュラ』の作者であるブラム・ストーカーはアイルランド出身です。同じくアイルランドの伝承にある首なし騎士の「デュラハン」など、悪霊の類いに追われたら川を渡って逃げることで九死に一生を得るのが向こうの昔話の定番なようです。 民間伝承なので根拠は特にないようですが、肉体を持たず、存在が希薄な「影の住人たち」は流水にさらされるとその力がガリガリと削られ、魂が溶けてしまうようなイメージなのかもしれません。

 

で、ラダガストの報告は、指輪物語におけるナズグルも悪霊の一種としてそれに準じていることを表しているのでは、という推測です。サウロンが力をつけることでナズグルも大河を越えられるようになる、という言い方なので、原理的に越えることが禁止された境界、というよりは、越えるには相当の損失を覚悟する必要があるような「ダメージ障壁」のような存在でしょうか。まあ橋を通ったり空を飛んで越えたりすればあまり問題にならないようなので、単にカナヅチという可能性も。

 

そういえばフロドたちがブランディワインの渡しを越えたときに向こう岸にナズグルらしき影がいましたが、結局渡ってくることはありませんでした。馬なら川を泳いで来れるのではないか、との説もありましたが、ナズグルとしてはそこまでして渡りたくなかったようです。

また、ブルイネンの浅瀬の前でほとんどフロドに追いついていた乗り手たちも、フロドが渡り切るまで岸辺で足踏みしていました。そのあと川に入って来たのも首領を始めとする3人だけ、となっています。ここでフロドと指輪を逃すわけには行かぬ、とのサウロンからの猛烈な重圧を受けて、9人の中でも魔力が大きめのものだけが、ようやく意を決して川へと踏み込めたという状況だったのではないでしょうか。気分はほとんどパワハラ社長から紐なしバンジージャンプを強要させられた中間管理職です。その挙句全員流されてしまったのですから災難もひとしおです。再登場まで3か月近く間が空いていますが、サウロンの力が上り調子だったとはいえ、彼らがごっそりと失った魔力を回復するのにそれぐらいかかったのかもしれません。出て来た途端レゴラスに射ち落とされたのが誰かは分かりませんが、川にだけは落ちまいと必死だったのではないでしょうか。

 

まあ流水云々が本編に特に描写はされていないようなのであくまで推測ですが、裏設定というよりはおそらくイギリス人にとってはあたりまえすぎる認識なためにわざわざ書く必要があると考えなかった、という気もします。その辺り、ヨーロッパ、というかイギリス、とくにアイルランド方面の伝承に詳しい識者の方がいたら、一度詳しく聞いてみたいところです。

 

P. S.

地勢的にはロスロリエンとイムラドリスはそれぞれ近くの川をあらかじめ防衛線に組み込んで築かれているのではないかと考えられます(まあ、悪霊云々を抜きにしても基本ではあります)が、その反面、オスギリアスがアンデュインをど真ん中に据えるという開放的な設計なのは、時代の違いなのかゴンドールの勢いがそれだけ盛んで防衛を気にするより流通が重要視されたせいなのか、デネソール侯辺りなら教えてくれるでしょうか。

 

 

※ 3/21追記 見落としていたのですが「終わらざりし物語」に具体的な記述がありました。

ナズグルはアングマールの魔王を除いて水を恐れ、橋などを使わずに足を濡らして流れを渡ることは、よほどのことがない限り避ける、とのことです。理由は特に見当たりませんでした。

わが捲き毛を持つものよ

ロスロリエンにてギムリが奥方様に御髪を希う場面は指輪物語の中でももっとも美しいシーンのひとつと勝手にみなしていますが、ここを読み返す時、最近になって思うことがひとつあります。

 

手ずからギムリに巻き毛を授けながら、もしこの戦いを無事に乗り切れたならば、そなたの手には黄金があふれ、それでも黄金に支配されることはないだろう、と予言した奥方様。スラインをはじめ黄金に憑かれた身内の多いことを思えば、これはとてもありがたい祝福に聞こえます。が、この後の話を知ってもう一度ここを読むと、奥方様がそう断言できたのは"この子はすでに妾に魅了されているので黄金ごときに誘惑されるわけがない"と言う絶対的な自信があったからなのではないかしら、といううがった見方ができてしまいます(笑)

 

また、古来より世の東西で、伸ばした髪には魔力や魅了の力が宿ると考えられていました。髪の毛に触れさせることで相手を虜にする女神や妖精、髪の毛を切られたことで力を失った精霊、髪の毛を依代に魔術や呪術をかける話など、枚挙にいとまがありません。中つ国においてもルシアンが自分の髪をつかって魔法を編んでいますので、髪に力が宿るのは踏襲していると思われます。

それを踏まえると、指輪所持者の一人である奥方様クラスともなれば、自らの一部である髪の毛を渡し、それを肌身離さず持ち歩いている(であろう)ギムリのことは、その気になれば、ほとんどサウロンとナズグルの関係に近いぐらいに掌握できたのではないでしょうか。

実際、奥方様がガンダルフを通してギムリに送った言葉は"Lock-bearer(わが捲き毛を持つもの)"という、"Ring-bearer(指輪所持者)"をもじったような呼びかけで始まっています。さらに続けて"思いは常にそなたの側にある"とまで言っています。たぶんこれは比喩や詩的表現ではなく、本当に言葉通りの意味なのです。

 

もう一つ、『終わらざりし物語』にも無視し難い記述があります。時期的には指輪物語の執筆後のテキストになるそうですが、曰く、ガラドリエルの髪は父方の金髪と母親の銀髪の美しさを共に受け継ぎ、その輝きにはラウレリンとテルペリオンの光が宿っているようだ、と評判だったこと。その表現がフェアノールに後に宝玉に二つの木の光を封じるという発想を与えたらしいということ。そして、彼はガラドリエルにその髪の房を三度乞うたが、当時のガラドリエルはフェアノールと反目しており、すげなく断っていたということ。

......わりとしゃれになりません。永い歳月を中つ国で過ごして奥方様も相当丸くなられたとはいえ、かのフェアノールにできなかった偉業をギムリが成してしまったことになります。彼がその言葉通り後に御髪を宝石に封じていたとすれば、ある意味シルマリルと比べられ得るアイテムということになってしまわないでしょうか。

 

そうなると追補編の最後、あの印象深い一節も腑に落ちます。レゴラスが大海を渡って中つ国を去る時に、ギムリが共に行ったこと、ドワーフが西方に受け入れられるという特例中の特例はガラドリエル様がために許された恩寵だったのではないかとあります。

シルマリルも持たなければ指輪所持者でもない定命のドワーフが大海を越えられた理由、西方に受け入れられたという不思議も、奥方の贈り物がある意味"力の指輪"に準じる代物だったと考えると理屈が通るのではないでしょうか。逆にもしあそこでギムリが大海を渡らなかったら、彼の死後もその魂だけが奥方の御髪の宝石に憑いて離れなくなるぐらいの危険があったのかもしれません。

 

サウロンの指輪にも屈しなかったドワーフ族ですから、直接目に見える効果はなかったかもしれません。けれども、きっと奥方様はギムリの知らないところで彼のことを見ていて、角笛城の乱戦で斬りかかってきたオークにちょっと目くらましをかけたり、死者の道でおいていかれそうなギムリをはらはらしながら励ましていたり、後に何年もかけて水晶を選び抜き、さらに何年もかけて精製して、慎重に御髪を封じ込めた宝石を作り上げるその作業をずっと見ていたりしたのではないでしょうか。

ギムリは鈍感にもそんな奥方様の加護に気づくこともなく、けれどもいつまでも色褪せぬ思い出を大切に守り続けた、そんなお互いに一方通行な主従(?)関係だったのではないでしょうか。 そしてきっと、家宝にすると言っておいたその宝石を、最後の最後で取り出して懐に納め、衝動的に館を飛び出して港に向かったに違いありません。

 

大海の果てにてギムリは奥方様と再会してその宝石を捧げたのでしょうか。もしかしたら奥方様は彼の宝玉を嘉納されて、こんなふうにおっしゃったかもしれません。

「かつて妾が、そなたは手の技よりも舌の技が巧みだと言ったあの言葉を取り消しましょう。そなたが妾に贈り物を請うたあの時の言葉よりも、いえ、妾がこれまで受け取ったどんな金銀よりも、そなたが作り上げたこの宝玉は妾を喜ばせてくれます。」と。