モルドール経営

黒門前の戦いで、サウロンがフロドに気づいた瞬間に、彼の意識は一気にオロドルインに集中し、サウロンの軍は統制を失って浮き足立ってしまいました。逆に言えば何十万のオークやトロルを始め、モルドール中に散らばる数多の下僕たち、また、国外に派遣されたオークやナズグルを同時に操って戦略をコントロールしていたわけなので、さすが御目様、人間にはとても想像できない複雑な意識を持っているのだ、と小さい頃は思っていました。

やがて大人になって、某「Civilization」のような戦略統治シミュレーションや、某「Age of Empire」タイプのようなリアルタイムストラテジーをプレイしていると、ふと、

サウロンの視点ってこんな感じだったんだろうか)

という気分に浸ることがありました(笑) そう思って読み返してしてみると、生産と入植で軍事力を蓄え、複数方面の民族と交渉し、同盟し、スパイを送り込み、宿敵の大国を滅ぼすために蓄えた兵器を総動員して一気に決着をつけんとする。なんだかどれも覚えがあります。また、某「ポピュラス」のようなミニスケープゲームなどでは戦争を有利に運ぶためにちょっとした天変地異で干渉するのもよく見られます。

こうなってくると、ゲームプレーヤーの視点が与えられたなら、頑張ればサウロンの真似事ぐらいはできるかもしれない、という気がしてきます(爆)。そしてその観点から見ると、プレーヤーとしての御目様はなかなか合理的で、結構苦労性なところがあるのがみて取れます(笑)。そしてたっぷり時間をかけていろいろ入念に準備し、必勝を期して最終決戦に望んだ挙句、最後にひっくり返された無念はいかほどのものか、若干同情したくなってしまいます。

 

そんなことを言っていたら本当に

"Lord of the Rings: Battle for Middle-Earth" (Electronic Arts 2004)

なんてリアルタイムストラテジーが実際に発売されてしまうのですから世の中侮れません(笑)。諸般の事情により残念ながら未プレイなのですが、プレイ動画などを見る限りではかなり凝った作りになっていました。パワーアップした続編も開発されているので結構人気はあったようです。

さすがに支配の指輪は実装されていないようですが、闇の勢力でもプレイすることは可能とのこと。白の勢力とオンライン対戦もありとか。その場合、ガンダルフのチート性能には泣かされるようです(笑)。

 

ガンダルフを追い払ってスマウグとバルログを無双させ、サルマンも抱き込んでゴンドールを蹂躙し、エリアドールからエルフとデュナダンを駆逐して中つ国を我が世とぞ思うサウロンプレイというのも、一度やってみたいかもしれません。

旅をさせよ

しばしば言及されていますが、ホビットの寿命は人より長めなので ホビットたちの"年相応"の感覚というのは若干実年齢とずれがあります。一番単純な計算として、成人ならぬ成ホビットの33歳が日本人の20歳となるよう1.65で割るとすると、 出発時の年齢を換算した場合、

 

フロド、ホ50歳:人30歳 〜叔父さんの地所を相続した若旦那

サム、 ホ38歳:人23歳 〜家業の庭師を継いで数年目

メリー、ホ36歳:人22歳 〜大学4年生ぐらい

ピピン、ホ28歳:人17歳 〜高2ぐらい

 

といった感じになります。 ピピンが一番無軌道なのもこう並べるとなんとなくわからないでもないかもしれません。むしろ、デネソール侯への受け答えとかその若さにしては立派だったなあ、と。まあ、メリーとピピンもああ見えて名家の跡取りです。彼らがローハンの王様やゴンドールの摂政の前でも物怖じせずにいられたのは、その出自のおかげもあったのかもしれません。

 

昔読んだときは、ホビットたちは人間社会と隔絶していたから権威や身分にとらわれないのかな、とイメージしていましたが、いくら僻地といっても別に縄文時代のような狩猟採集の部族社会というわけではありません。また、どちらかと言えば人の流動の少ない田舎ほど社会地位による力関係は絶対的になり、身分の違いといったものには敏感になる傾向があります(例えば江戸時代のお百姓なら、相手が馬に乗っていていい服を着ていた時点で、誰か知らなくてもとりあえずへりくだりそうです)。

ですが、メリーもピピンも王様や執政に対して萎縮もせず、むしろ感心されるぐらいに礼儀にかなった振る舞いを披露します。単に身分に無頓着ならああいう格式張った言い回しは出てこないでしょうし。両者ともああ見えて(二度言いました)小なりとも貴族の惣領として礼儀作法などもしっかりした教育を受けていたのに違いありません......実家に断りもせず流浪の旅に飛び出してしまっていますが(汗)

成人しているメリーは百歩譲って自己責任としても、ピピンは未成年です。お父上のパラディン氏はご存命で当時は現役でセインを勤めていますし、母上もたぶん健在でしょう。末っ子で後継ぎの長男とくればさぞかし大切にされていたことと思われます。結果として錦を飾ったからまあいいようなものの、行方不明の間のご両親のご心労いかばかりかと思うと......

 

あなたなら、自分が何歳の時なら家を出て旅に出る気になれるでしょうか? あるいは、子供が何歳になったなら旅に送り出せるでしょうか?

わが友グワイヒアよ

黒門前の最後の戦いで、フロドたちを助けにいくためにガンダルフがグワイヒアに頼むかっこいいシーンがあります。

『「あんたはわしを二度運んでくれた。わが友グワイヒアよ、」と、ガンダルフはいいました。「もしあんたが喜んでやってくれるなら、三度目であんたの骨折りもむくわれるぞ。」』

 

......三度目で報われるとは何のことか、ずっとすっきりしませんでした(笑)。

 

原文だと"Thrice shall pay for all."とあります。そのまま読むとグワイヒアがガンダルフに何か借りを負っていて、それがやっと完済するように聞こえます。検索すると海外の掲示板でも解釈がいろいろ分かれているようです。

ホビットの冒険』にはガンダルフが昔、鷲の王の矢傷を癒したとありますので、その恩返しとの意見も多いようです。しかし、ここの「二度運んでくれた」は、オルサンクからの脱出を一度目、ジラク=ジギルを二度目と考えられますので、かつてビルボと一緒に助けてもらったのは勘定に入らないようです。とすると、『ホビット』に出てきた鷲の王とグワイヒアは別人ならぬ別鷲のように思われます。じゃあ、ランドローヴァルが鷲の王でグワイヒアはその弟だ、いや、二羽ともその鷲の王の子孫だ、と、けんけんがくがく。

 

で、その掲示板でも指摘されていた点ですが、実は『ホビットの冒険』にもよく似たセリフがあるのです。ビルボが二度ほど言っているのですが、

"my father used to say, 'Third time pays for all.'" (1)

などとあります。

これは古いことわざだそうで、日本語なら「三度目の正直」が一番近いでしょうか。「(二度失敗しているが)今度こそうまくいく」、「失敗のぶんも取り戻せる」といったニュアンスがあるようです。ガンダルフの言い回しは若干文語調になっていますが、きっと意味は同じでしょう。

これを踏まえてガンダルフのセリフを私なりに訳し直すと、こんな感じでしょうか。

『「あんたはわしを二度運んでくれた。わが友グワイヒアよ、」と、ガンダルフはいいました。「もしあんたがいやでなければじゃが、こんどこそ最後、三度目の正直じゃ...(中略)...前回運んでくれた時よりも、わしは大して重くなっておらぬはずじゃ」』

 

もとのテキストではいささか偉そうだったのが、うってかわってかなり下手に出ている印象になってしまいました(爆)。まあでもこれまでのガンダルフとグワイヒアのやりとりをみても、これぐらいの力関係なのではないでしょうか。

ことわざや警句の類をアレンジしてセリフに入れるのは教授の十八番なので、ここもその流れで解釈して問題ないと思います。

ああ、すっきりしました(笑)。

 

(1)邦訳ではそれぞれ

「『三度目の払いで片がつく』とわたしの父は口ぐせに言っていました。」

「わたしの父は、......また、『三度目の正直』とも言いました。」

となっているようです。

働かざる人々

子供の頃に指輪物語を読んだとき、疑問に思っていたのは、フロドたちの仕事ってなんなんだろう?......ぶっちゃけ、生活費をどうやって稼いでいるんだ? というものでした。だってどうみても働かずにぶらぶらしたり本を書いたりして暮らしています。

 

最後まで読んでも結局具体的には書かれてませんが、実は本編の一番冒頭のとっつあんのセリフ

"A very nice well-spoken gentlehobbit is Mr. Bilbo (ビルボ旦那は言葉使いの練られたそりゃあいいお人さ)"

のところにその手がかりがありました。

英語のgentlemanは現在では男性に対する丁寧な呼称として一般に用いられ、通常「紳士」と訳されますが、元の意味はgentry、「郷紳」と訳される地主貴族層のことを指します。ですのでこれを文字通りに解釈すれば、バギンズ家はそこそこの広さの農地と小作人を抱えた大地主であり、十分な不労所得があるに違いないということです。そらまあ、ぶらぶらして本を書いていても大丈夫かと。トゥック家、ブランデーバック家をはじめ、誕生日会で名前の挙がった家はそれぞれ大なり小なりそのような地所をもった階級なのでしょう。

 

一億総中流と言われた我々の世代の日本人にはあまりイメージが湧かないのですが、近代まで(現代でも?)身分階級がはっきりわかれていたというのがイギリスです。トールキンの世代ではまだ、そういった地主階層がそれなりにたくさんいたのでしょう。常識レベルなのでいちいち細かく説明する必要を覚えなかった可能性が高いです。

 

そうすると指輪の仲間で労働者として働いた経験があるのはサムぐらいでしょうか。ボロミアは執政の長男でレゴラスは王子。トーリンやグローインの世代は苦労していますが、ギムリが産まれたのはトーリンがエレド・ルインに落ち着いた後のようですので、やはり王族の扱いでしょうか。ガンダルフは、まあ、なんとでもなるでしょう。いざとなったら霞を食べて(煙をふかして)いれば大丈夫そうです。アラゴルンは身をやつしてあちこちでいろいろやっていたのでその中では労働者っぽいことも少しはしたかもしれません。その意味ではもっと謎なのは野伏たちの基本的な収入源です。狩人や薬草売りで食っていくにも限度があるでしょうし表舞台に上がることなく1000年以上も......エルロンド卿がパトロンとして養っていた、ぐらいしか思いつきません。

 

となえよ、友

コンピュータのセキュリティの分野ではいわゆるパスワード破りの方法として古典的なものに、辞書にある単語の組み合わせを片っ端から試してみるという辞書攻撃と呼ばれる手法が知られています。映画とかTVドラマでいわゆるハッカーがそれっぽいプログラムを走らせてプロテクトを破ったりしているときに使っているようなやつです......たぶん(まともなパスワードならさすがに数分で破れるはずはないので)。

 

モリアの入り口の"合言葉"も原作では"password"です。すなわちガンダルフがドゥリンの扉でやっていたのはまさに辞書攻撃による世界最古のクラッキングだということになります(笑)。

......とはいえ、ある意味それも当然なのかもしれません。なにしろプログラマーの世界で、最上級の凄腕のハッカーに畏怖と敬愛を込めて送られる称号といえば「ウィザード」に他ならないのですから。

 

 

P. S.

結局パスワードが扉の上に書いてあったというオチでしたが「パスワードを書いたポストイットをモニタに貼り付けておかないように」という通達も現実によくある話です。#すいません私もたまにやります(爆)

教授が指輪物語を執筆していた時代はちょうどアラン・チューリングがコンピューターの原理となる理論を提案し、原始的な電子計算機が開発され始めた頃になります。いわゆる計算機サーバーなんかが生まれるずっと以前にパスワードによる認証の本質とその欠点を洞察していた、と言えなくもないのでしょうか......あるいはもしかしたら、最初期のOSに"パスワードによるログイン"という仕様を実装したMITあたりの誰かが指輪物語の愛読者だったのかもしれません。

アメリカで指輪物語が大学やヒッピーなど若者を中心に大ブームになったのは1960年代後半とのこと。マルチユーザーOSの原型である"Multics"の開発と時期はちょうど重なります(笑)

MITの開発したCompatible Time Sharing Systemで1961には既にパスワード認証が使われていたようです。指輪物語は一応出版されていたみたいですがブレイクしたのはもう少し後になります......

エレサール王の戴冠

アラゴルンが即位する時、ファラミアから王冠を受け取ったのを一旦返して、フロドに託し、ガンダルフに戴冠させてもらっています。指輪戦争の真の功労者を立てたかたちですが、本当にそれだけの意図だったのでしょうか。

 

アラゴルンの言動をみる限り、ガンダルフたち、イスタリと呼ばれた魔法使たちが西方から海を渡ってきた者であることは知っている、あるいは何かしら推察していると思われます。イスタリがサウロンと戦うために西方から遣わされたとなればその主君はヴァラ以外には考えられません。ヌメノールの子孫としては頼もしい味方であると同時に、決して裏切ったり失望させたりするわけにはいかない背景を持つとも言えます。本編ではガンダルフ自身はあくまでも人々を奮いたたせ、支援する立場を貫いていますが、「わしもまた執政である」とデネソールに語り、またサルマンの杖を折るだけの権限を有しているわけですから。

 

そのガンダルフに戴冠してもらえる、ということになれば、見方によればゴンドール、アルノールの王としての立場をヴァラ達の代理として支持、承認してもらった、とみることもできそうな気がしてきます。ヌメノールが大海に沈んで以来、アマンとは没交渉のまま放浪を続けてきたデュナダンの末裔としてはこれ以上望むべくもないお墨付きではないでしょうか。もし狙ってやったとすると、真面目な堅物の印象の強いエレサール王ですがあれでなかなか政治力のある曲者だと言えるのかもしれません。

広い世界の中の小さな役割

この記事はトールキンライティングデーの企画、

トールキンアドベントカレンダー2017 25日目のエントリーです。

 

指輪物語では、本編の中で結局明示的に正体が語られることのない、回収されない不思議がたくさんあります。たとえばサムのロープはどうしてほどけたのか、とか、結局カラズラスの吹雪はサウロンの差し金だったのか、とか。

そのような不思議の中にも特に、西方のヴァラ達の干渉と思わせるもの、と「運命」と呼ばれているものと二つの大きな流れがあるように思われます。

 

上古の時代には積極的に中つ国に関わっていたヴァラ達ですが、第三紀には不干渉を決め込んだことになっており、指輪物語の本編においてはエルベレスの御名の他にはほとんど出て来ません。ですが、サルマン、ガンダルフなどのイスタリを派遣するなど、影からは結構手を出しているふしがあります。

例えば、ボロミアとファラミアが夢で聞いた『折れたる剣』の預言の歌は、かつてウルモがトゥアゴンに夢で啓示を送ったことなどを思い起こさせます。ウルモの使令で、あるいはウルモその人が送ったメッセージだったのかもしれません。

また、ペレンノールの合戦の朝に暗雲を払って陽の光を取り戻し、アラゴルンたちの船をハルロンドの港に送り届けた西風は「風を吹かすもの」マンウェの力によるものでは、と期待できますし、サウロンの最期とサルマンの最期にも強い風が彼らの幽霊(?)を吹き飛ばしています。さらに言えば、ワシはマンウェの使いとされていますので、五軍の戦いや黒門の戦いへのワシ達の参戦も背後にはマンウェからの使令があったのかもしれません。

 

その一方で、ビルボと指輪の出会いや、メリーとピピンが木の髭と出会ったことのように、ちょっとした偶然のように見えながらその後の趨勢を大きく変えてしまったできごと、というものがさまざまな形で描かれています。

ガンダルフは時々そのような偶然を指して「定められていた」とか、「指輪の造り主の意図をも越えた、何か別のものが働いていた」といった言い方をしています。......ガンダルフの立ち位置を考えると、これらの偶然、あるいは運命がヴァラ達の意図したものであったならば、それを知っていてもおかしくはありません。が、そこでヴァラ達の意図をにおわせるのもなんとなく不自然です。また、先に挙げたようなマンウェやウルモの干渉を思わせる出来事ではその意図と効果が直接的で理解しやすいのと比べると、これらの偶然はそれ自体からは効果や目的が直接見えてこないものが多いのが特徴です。

 

ここからは特に根拠はないのであくまで想像ですが、指輪物語のなかでホビットたちがちょこちょこと起こした「偶然」はもしかしたらイルーヴァタールの仕掛けなのかもしれません。

スメアゴルと指輪の出会い、ビルボと指輪の出会い、ビルボが見つけたスマウグの弱点、フロドの決意と旅立ち、ピピンバルログを起こしたこと、2ホビットと木の髭の出会い、ピピンがパランティアを拾ったこと、魔王へのメリーのひと刺し、そしてスメアゴルの最期。ひとつひとつは魔法でも奇跡でもないのですけれども、振り返ってみればどれひとつ欠けても結末はずっと悲惨だっただろうと思えるようないくつもの出来事、それらがもし意図されていたものだとすれば、奇跡的なほどに巧妙に配置されたとしかいいようのない「偶然的な出来事」のほとんどに、ホビットたちが絡んでいます。

アイヌリンダレではイルーヴァタールの第三の主題はメルコールの奏でる不協和音すらも主題のなかに取り込んで音楽にまとめ上げてしまったとされています。指輪物語の戦いの中で、要所要所で少しだけサウロンやサルマンの予想を外し、それが積み重なることで結果として盤面をひっくり返してしまう、そんな囲碁の妙手のような展開は、イルーヴァタールの全智が背景にあったがゆえに実現できたものだったのかもしれません。そして、その展開を実際に担っていたのが、素朴で、しかし頑固な、ホビットたちの小さな手だったのではないかと想像すると、なんだかワクワクしてこないでしょうか。

 

補足

ボロミア兄弟の啓示の歌には「小さき人」と明示的にホビットが言及されています。この啓示がウルモか誰かからのものとすると、ホビットのもたらす運命についてヴァラ達がいろいろ予測していたことを示唆するので、さっきの考察と矛盾しそうな気もします。が、もしかしたらマンドスあたりが(また)思わせぶりな予言でイルーヴァタールの御心を説くなどして「とりあえずあの小さい連中には注意しておかないといけないらしい」ぐらいの意識が、ヴァラ達に共有されていたのかもしれません。